われわれの文字生活において絶えずさらされてゐるものに書體の蠱惑がある。
かう書くと、そんなことが一般的にあるのだらうかと疑問にすることがあるかもしれぬ。しかし、ゴナと新ゴとの違ひになんの蠱惑もないとしても、文字の「線」に潛むさそふ力は書體にあるとせねばならぬ。それは文字は書體をまとふがためである。
デザイナーが、或は編輯者がうつかりもらす書體についての感想はこの蠱惑にやられてしまつたものとみてよい。さらに研究者が書體の機能を安易に斷じてしまふのもこの蠱惑に目をつぶされてしまつたからにほかならぬ。かのごとくわれわれは書體を衣裳のやうに思ひちがひ、恥知ずの駄文を日夜かきいそしむ。
だから、かやうな毒は最後まであぢはひつくさう。致死量に滿足しないことにしよう。あらあらと死ぬやうなことは仕方がないからである。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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